平安後期、博多港護岸か 福岡市、冷泉小跡調査で石積み遺構出土

平安後期、博多港護岸か 福岡市、冷泉小跡調査で石積み遺構出土

福岡市博多区の冷泉小学校跡を発掘調査していた市埋蔵文化財課は、平安時代後期(11世紀後半〜12世紀前半)の海岸沿いに築かれた石積み遺構が出土したと発表した。宋時代の中国との「日宋交易」で栄えた中世都市・博多遺跡群の一角で、市は初期の博多港の護岸の可能性があるとみて引き続き調査する。
 石積みは長方形の自然石を2、3段、高さ40センチほど垂直に積み上げて築かれ、南北約35メートルにわたって出土した。上下の土層に含まれた陶磁器の年代から、11世紀後半ごろに護岸用に築かれたが、12世紀前半ごろの洪水で土砂に埋まって放棄されたとみられる。
 博多では奈良時代以降、旧平和台球場(中央区)周辺にあった鴻臚館(こうろかん)という施設が外交や交易の中心だったが、11世紀中ごろに焼失。中国人商人らが住む海沿いの砂州が新たな交易拠点になり、中世都市・博多が形成された。石積みはそのころに築かれた港の護岸とみられ、中世初期の港湾施設の出土は非常に珍しいという。周囲では中国から輸入された白磁などの陶磁器や、火薬の原料として日本から輸出された硫黄の粒なども出土した。
 市埋蔵文化財課の大庭康時・主任文化財主事は「石積みは船を横付けする岸壁にしては海側の水深が浅く、海と陸上の施設を区画するものとみられる。都から指示があるまで交易品を保管する『保税地域』のような施設があったのでは」と話す。